画家の思い継承を目指して -時を超えて伝える- 絵画修復プロジェクト

2021年、当NPO法人(以下NPO)では、NPOに寄せられた寄付を活用して
公共施設の持つ美術品等を修復するプロジェクトを立ち上げました。
このプロジェクトは、美術館を含む色々な機関の持つ美術品が、修復を求められているにも
関わらず、十分に対応できていない事を課題と考え、これを解決する新たな提案として、
「美術品を大切に思う人々の寄付により作品の修復を進めようとする」ものであり、
修復の大切さを理解して頂く為のプロジェクトです。
 
又、施設側には、従来裏方で行われている「修復」も作品保存活動の一部である事を
広く美術館を訪れる皆様にも理解していただけるようご協力いただきます。

第二弾が決まりました!!

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第一回修復作品 真鶴町立中川一政美術館 油彩画3作品

展示は終了いたしました。


「海の村落」20号 1963年

修復後

作業中の表面保護の為の表打ち

パネルからの絵の取り外し



「福浦」30号 1953年

修復後

作業中の表面保護の表打ち

木枠にキャンバスを張り戻す為キャンバス補布



「福浦突堤」50号 1965年

修復後

パネルを外したところ、キャンバスにサイン

現地で描かれた為、様々なゴミが挟まっていました



横浜市開港記念会館 和田英作 油彩画修復

この活動は、修復した和田英作の2枚の絵画作品について、先ず皆さんに知っていただく事から始めました。
2016年5月4日横浜市開港記念会館1階1号室において、【装飾壁画を知る会】を開催いたしました。この会では、文化財を守る事の大切さや、絵画修復の方法、に加え和田英作やその仲間達、過去文献から見える、絵画が描かれた時の日本の環境なども研究者(手塚恵美子先生)に講演していただきました。
当日は横浜市民や会館ボランティアツアーガイドのジャックサポーターの皆さんなど熱心に話を聞いていただき、絵画を保存していく思いが一層強くなって行きました。
その年の年末、ついに修復許可がおり、翌月年初から作業が始まりました。数十年前と考えられる重いガラス蓋を外して見ると、額を含む素材の豪華さ、過去の修復跡、がはっきりと見る事ができました。又、90年前の絵とは思えないほどの状態の良さは画家の技術の高さが伺えました。2枚の絵画の修復は日本では珍しい現場で足場を組んでの修復作業でした。進行中には、公開日を設け観光などで通りがかった方へも絵画や修復についてお話することができました。2018年2月に2作品の修復を完了し3月11日(三塔の日)にお披露目となり、現在は新しいガラスがはめ込まれ、いつもの開港記念会館を訪れる方達の目を楽しませています。

ロビー左側「開港前の横浜村」黄変したワニス除去

ロビー左側「開港前の横浜村」公開修復

ロビー右側「大正期の横浜港」修復完了



静岡ハリストス正教会 イコン修復 (現・玉川大学教育博物館所蔵)

2014年

静岡ハリストス正教会は数年前から、建設後50余年を経て老朽化が進むとともに、今の耐震基準に適合しない聖堂の建て替えを計画し、実現のための協議を重ねてきた。その結果、十分な耐震性と耐久性を備えた木造の新聖堂建築案を策定したが、様々な条件から聖堂は従前のものより一回り小さい規模になったことから、内部の聖所と至聖所を仕切るイコノスタスの規模も合わせて縮小せざるを得なくなった。そのため、静岡ハリストス正教会は所蔵するイコンのうち、新しいイコノスタスに収まらない20点を適切に保存し、活用できる寄贈先を探すために、美術関係者経由で特定非営利活動法人美術保存修復センター横浜(弊NPO、以下NPOと呼称)に選定の依頼をした。それを受けたNPOはイコンを保存し、活用できる機関として玉川大学教育博物館を静岡ハリストス正教会に推薦したことが、今回の寄贈につながった。

*『玉川大学教育博物館記要』第13号 別冊 2016年3月発行「静岡ハリストス正教会寄贈山下りん作イコン修復報告」 より (一部抜粋、変更あり)

 

上記の経緯から、写真最上段と2段目の日比和平のイコン14枚と3段目の山下りんのイコン6枚を修復し2015年に玉川大学教育博物館へお納めいたしました。

 

又、この後、教会からのご依頼により写真中央の王門にはめられているイコン6枚、その両側の2枚のイコン、至聖所内のイコン2枚、他1枚のイコンを修復し、新聖堂へお納めいたしました。この際は、総額6万円の寄付が集められ修復費用の一部に充てられました。


山下清 ペン画3点 横浜市立浦島小学校 所蔵

2013年

横浜美術館特任研究員の猿渡紀代子さん(当時)から、横浜市立浦島小学校に伝えられてきた山下清のペン画3点の状態が悪く今後の継続のためにどのようにしたら良いかのご相談がありました。

昭和43年当時、有名になっていた山下清の作品展が全国各地で催されていました。山下清は出来る限りそれらの作品展に顔をだしていました。そしてその合間を見つけては、必ず、各地の養護施設や身体障害学級のある小中学校を訪ねていました。そこで彼は絵を描いてみせ子供達を励ましたのです。その一つがこの浦島小学校でした。

「つゆ草」・「とんぼとかたつむり」・「ちょうとはち」

絵画の用紙は模造紙で、あくの沈着や酸化による茶褐色のしみが発生していました。そのまま放置すると、さらに退色が進むと同時に紙の亀裂・破損に繋がる状態でした。